東京都の特別行政区(23区)はいかに生まれたか ~大阪都構想とはvol.1~

北区

こんばんは、吉田けいすけ(北区議会議員)です。

 

本日は十条を中心に活動をしておりましたが、ネコが多いことを発見…!

しかも、とても人懐っこいです。

この猫ちゃんの写真は哀愁漂うものになってしまいましたが、皆さんからとっても可愛がられておりますよ。

ところで、衆議院選挙と共に、大阪都構想の住民投票の日も、着々と近づいております。

そこで、今一度「大阪都構想ってなに?」という疑問を解決すべく、

連載で一つひとつ説明をしていきます。

本日のテーマは、全国で唯一の特別行政区「東京23区」はどのように生まれたのか。

 

歴史

明治時代に江戸から東京府変わり、旧江戸の市域に50の区画が制定されました。

その後、今のおおむね明治通りの内側部分(千代田区、中央区、港区、文京区、台東区の全域、および新宿区・墨田区・江東区の各一部)に麹町区、日本橋区など、15区が制定され、これが東京市となりました。

その外側は町村になりました。

たとえば北区の場合、東京府北豊島群岩淵町・王子町でした。

 

そして昭和に入り、現在の23区とほぼ重なる部分に20区が加えられ、東京市は35区を抱える人口・面積共に巨大な市となりました。

 

そして、1943年に東京都制が施行され、東京府及び東京市は廃止。

東京府は東京都と名称が変わり、35区は東京都の行政区となりました。

ちなみに、北区は東京都王子区・滝野川区になりました。

 

戦後すぐに、35区が再編され22区になり、特別行政区に。

そして練馬区が板橋区から分離して現在の23区が生まれました。

 

さらに、2000年まで特別行政区は地方公共団体に当たらないとされてきましたが、地方分権改革により、独立した地方公共団体と定められました。

 

東京都制の目的

東京府と東京市廃止を決めた東京都制。その目的は、

「帝都たる東京に真の国家的性格に適応する体制を整備確立すること」

「帝都に於ける従来の府市併存の弊を解消し、帝都一般行政の、一元的にして強力な遂行を期すること」

「帝都行政の根本的刷新と高度の効率化を図ること」

当時は戦時下。

首都東京の機能強化のために、市区の二重行政の解消を行い、行政機能や統治の効率化を図りました。

東京都がより強く、東京の中心部に対し監督ができるように制度を変えたのです。

 

実は、この東京都制構想は、実は明治時代から存在しておりました。

1896年に帝国議会で「東京都制案」「武蔵野県設置法案」が提出されました。

東京府を廃止して東京15区を「東京都」として独立させて政府の支配を強化し、他の地域を武蔵県として再編成させる。

しかし、帝国議会や東京市民の反感を買い、撤回。

当時の内務大臣は引責辞任をしました。

初めての議案提出から、実に50年の歳月をかけて実施されたのが東京都への構想です。

大阪都構想は今から5年前に住民投票が行われ、今年再び行われようとしています。

今後の経過にぜひご注目ください。

 

それでは、また。