本能寺の変の立て役者、斎藤利三。

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こんばんは、吉田けいすけ(北区議会議員)です。

 

先日大河ドラマ「麒麟がくる」の最終回を迎えました。いよいよ来週からは渋沢栄一が主人公の「青天を衝け」がスタートします。

さて、麒麟がくるの主人公、明智光秀は晩成型の武将と言えます。

定説は定まっていませんが、現代の30~40代ごろに織田信長に仕えたと言われています。

人間の寿命がせいぜい50代だった当時において、非常に遅い仕官と言えます。

本能寺の変 光秀を決起させた「転職エグゼクティブ」

明智光秀の決起を促したとみられるキーパーソンが、家老の斎藤利三だ。一般には知られていないが軍事、行政、外交に優れた手腕を発揮した「エグゼクティブ転職組」だった。最新の史学研究などから真相を探った。

そんな明智光秀も、優秀な家臣団に支えられ順調に出世を重ねてきました。

その中でも、本能寺の変にも大きな影響を及ぼした人物が「斎藤利三」だと言われています。

織田家へ転職組の明智光秀のもとに、転職をしてきた斎藤利三ですが、各分野で優れた業績を収め明智家中でナンバー2にまで上り詰めました。

一方で、他の家中から人材をヘッドハンティングし続けたために批判を受け、一時は信長から切腹を命じられたこともあったようです。

その際は、明智光秀が必死で信長を説得し、事なきを得たようです。

本能寺の変は、史上稀にみる大成功した暗殺劇です。信長のみならず、世継ぎの信忠まで殺害に成功し、織田家はリーダーと時期リーダーを一夜にして失いました。

その手際は、敵将今川義元を破った桶狭間の戦いを超えるかもしれません。

このような成功の陰には、優秀な人材を求め、厚遇し続けた明智光秀の才覚があったのかもしれません。

後日談になりますが、斎藤利三の子は、のちの春日局となり三代将軍徳川家光の擁立に奔走し、徳川家の未来に大きな影響を与えることになります。